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まだまだ進行形

卒業してからあっという間に4ヶ月以上の月日(!)が経ってしまった。
この間、何をしていたかというと、ボストンのアパートを引き払ってベイエリアに引越し、日本に一時帰省した後、5週間ほど中国へ短期留学、そして8月1日からシリコンバレーのクリーンテックベンチャーにて勤務を開始。
社会人に戻ってから、もう2ヶ月がたったわけだ。

金曜日の夜、久しぶりに1人だけの時間を持てた今日、
「そろそろブログを更新しよう」
と思って、PCに向かったけれども、不思議と筆が進まない。

(特に女性にとっての)MBAの価値について書く予定だったけれど、
日々、色々と思うことがあって、なかなか頭の中でまとまらない。
自分なりに整理がついたと思っても、さて書こうとなると、なんだか陳腐な気がしてくるのだ。

そうして何度か書き直したけれど、やはり陳腐に思えてしょうがないので削除した。


なんというか、まだ、私は進行形なんだと思う。
だから、あえて、自己納得するがために「MBAってこうだ」と書きたくないのかもしれない。

自然と書きたくなったときに、また改めて書こうと思う。



でも、このブログはとりあえずここで終了。

シリコンバレーでの新生活で感じたことをまた書いていきたいから、近々新しいブログを立ち上げる予定。
立ち上がったら、またこのブログでお知らせします。

卒業しました

2011年5月26日、晴天の中、HBSの卒業式を迎えました。

grad2.jpg

不思議と「アー、やり終えた!」という達成感の気持ちはあまりなく、逆に、ようやくウォームアップを終えてスタート位置につけるのだ、という思いのほうが大きいです。

でも、この卒業式が人生の大きな節目となったことは間違いありません。
Pre-HBSとPost-HBSではいろんな意味で人生が本当に変わった、と思います。

よく、MBAで得たものとしてみんなが口々にするのは、

・視野が広まったこと
・体系的な経営知識を得られたこと
・世界中から集まった優秀な同級生との友情、ネットワーク
・自分の信念、プリンシプルの確立
・自信がついたこと

などでしょうか。

これらはまさにもっともなことであり、私が学んだこと・得たものの中でも重要な部分です。
ほとんどのMBA生に当てはまることだと思います。
そして多くのMBAの先輩たちがブログなりですでに語られていることです。

ここでは同じことを語ってもあまり意味はないので、私の特定のシチュエーションにおける、HBSの価値について今後のエントリーで語っていこうと思います。以下のような人には特にレレバントかもしれません。
・アラサー女性でMBA目指す人
・長期的には日本に帰る、というプランがなく、日本国外でも継続的にキャリアを築きたいという人
・MBA前の業界からキャリアチェンジしたいという人
・出産後も仕事と家庭を両立できるようなキャリアを模索している人

では、また次回に。

Don't wait for a crisis.

HBS卒業式の前日、Class Dayなる2時間のイベントが開催された。

classday.jpg

生徒会長や学生代表のスピーカーがスピーチを終えた後、卒業生代表としてスピーチをしたのが、Kathryn E. Giusti女史。Kathrynは25年前にHBSを卒業し、現在はMultiple Myeloma Research Foundation(多発性骨髄腫研究財団)の創設者・CEO。彼女のストーリーはまさにミラクルそのもので、2年ほど前にCNBCで放映されたHBSについての番組でも、大々的に紹介された。
giusti.jpg

Kathrynは卒業後、大手製薬会社で順調にキャリアを築いていた。ところが、卒業後9年経ってから、突如、多発性骨髄腫という難病を診断され、余命3年と宣告を受ける。非常に稀でかつ複雑な病気であることから、この病気の治療法についての研究はほとんど進んでいない状態だった。

普通の人ならば、これが運命かとあきらめるかもしれない。しかし、彼女は幼き娘のことを想い、私は何としてでも生きなければならないと決意する。そして、弁護士をやっている双子の姉(妹)と手を組んで、多発性骨髄腫研究財団を設立し、この病気の治療法の研究を急加速すべく、活動を始めたのだ。
ファンドレイジングを精力的に行い、その資金を研究に投入し、その数年後には飛躍的に研究の成果を得ることができた。そのお陰で、彼女だけではなく、世界中でこの病気に苦しむ病人を救った。

彼女はビジネススクール卒業時を振り返る。
「私はひと時たりとも自分が起業家になるなんて思わなかった。大企業でキャリアを築くほうが自分には向いていると思っていた。」

「でも、この難病を宣告されたことで、何かやらなきゃと思った。そして起業家になった。」

「今卒業していくあなたたちに言いたいのは、
Don't wait for a crisis to do something amazing with your life.
ということ。
クライシスを待たずに、世のためになることを自分は何が出来るかを考えて、行動しなさい。

これはキャリアだけに当てはまることではない。
人生において、とても重要なことだけれど、緊急でないことは、ついつい後回しにしてしまいがちだ。
そして、多くの人は、何かしらクライスに直面して、それが本当にどれだけ重要なことかに気づくのだ。
それから行動したのでは遅い場合も多い。

緊急だけれど、本質的にはあまり重要ではないことに翻弄されるな。
自分にとって何が大切か、まず真剣に考えて、それに基づいて時間配分をして、プラニングをしなさい。
ということ。
これは先日の最後の授業でクリステンセン教授が切に訴えていたこととまさに重なる。

私もこの2年間で、自分にとって何が本質的に重要か、かなりクリアに見えてきた。
しかし、まだまだ、能動的に、継続的に考えていかなければならないことだ。

Twitterやる人、やらない人。ブログやる人、やらない人。

最近、Twitterやブログなどのソーシャルメディアを使っている人と使っていない人の違いについてよく考えていた。

それは、どうみても
・メディアリテラシーがあまりない(=新しいものをすぐに使いこなせない)
・日常生活があまり充実しておらず、書くことが無い
・企業勤めで周りに知られたくない
・時間が無い
・単に興味なし
というありきたりな理由だけでは説明できないケースが散在しているからだ。

年齢、住んでいる場所、働いている会社など、ある程度の「環境」にまつわる変数を取っ払って、
自分と似たような境遇の人たちを見たときに、やる人・やらない人の間に、何かしらの特有の理由が浮き彫りになるのではないかと興味をそそられたのだ。

断っておきたいのは、別にTwitterやブログをやっていることが良いとか、やっていないことがダメと言っているわけではないということ。やる人は楽しめばいいし、やらない人はそれで別にいい。
しかし、やっている人と、やっていない人は明らかに行動パターンや、考え方が異なっているから、何がそうさせるのかを知りたいという純粋な興味があるのだ。

環境にまつわる変数を大部分取り除くために、自分の周りの似たような環境にいる人々について考えた。そういう人のプロフィールはこんな感じである。

・アメリカの大学院に留学中、またはアメリカで勤務中(海外在住なので、日本に住んでいる時のような監視の目はあまり無い)
・アラサー世代
・海外経験はある程度あり、外の世界への見識もある程度高い
・メディアリテラシーは平均より上でIT音痴というわけではない
・日本の激務サラリーマンに比べて比較的時間にゆとりがある
・海外在住ということもあり、普通よりは充実した毎日
・人付き合い良いほうで、性格も根暗ではない
・ブログやTwitterがどういうものかはある程度分かっている(ので、興味がゼロというわけではない)

このような人の中でも、Twitterやブログを積極的にやる人、やらない人というのはくっきりと分かれているのだ。
何故だろうか?一番上に挙げたようなありがちな理由は、一見彼らには適用されないようにように見える。

周りにいる、上記のプロフィールに当てはまる友達・知り合いで、Twitterやブログなんてめっそうもない!と言っている人に、「何故やらないの?」と聞いてみた。(上記の通り、ただ単に何故やらないのか興味があるだけで、やれといっているわけじゃないと注釈を加えつつ)

すると、浮かび上がってきた理由は以下のようなものだった。

不特定多数の、自分が知らないような相手に、自分の日常・思っていることをシェアして何が楽しいの?
知らない相手に自分のことを見られているようで、何か気持ち悪い!
・匿名を使っていても、なんだかんだでばれてしまうんじゃないかと思って怖くなる。
・(「書きたくないことは書かなければいいじゃない?」という問いに対しては)そこまでして書きたいと思うことが無い
・たくさん書いてアップデートしている人を見ると、よく出来るなーと思う。

どうも、彼らにとっては、自分のプライバシーが何よりも重要なようだ。
そして、それは、組織などの外的要素に対するプライバシーだけではない。
こちらで留学していて、フリーな身分な人でもそう感じている人がいるのだから、環境に縛られたプライバシーというよりは、もっとパーソナルな意味でのプライバシーのようだ。
言葉を変えると、他人に対しての自分の心の中のバリア?ということか。

彼らに、Twitterやブログを通して出来る人とのつながりや情報へのアンテナというベネフィットを説いても、馬耳東風であることが多い。彼らはなんとなくそういうベネフィットがあることはすでにわかっている。でも、プライバシーを侵害されることの恐怖、周りに見られていることの居心地の悪さのほうが、そのベネフィットをすら、かき消してしまうようだ。(一部の人に限っては、ベネフィットがどんなものかが良く分かっていないため、実際やってみればベネフィットのほうが大きかったと発見する場合もある)

彼らは、リアルの世界では決して引きこもりタイプとか、内向的というわけではない。逆に、非常に外向的に見える人も多い。ただ、本人も無意識のうちに持っている、何かしらの心のバリアがあるのではないかと思う。
「自分が思ったこと・感じたこと」に対する、自分だけへの帰属感、というか。

私はまだそれを完全に理解は出来ていないが、何人かと話してみて共通していたことだったので、きっとそこに何かがあるのだろうと理解しようとしているところ。
それは理解しようと思えば理解できることなのか、それとも、お互いに理解不能な感覚なのか。
哲学的な、生理的な、何かしら深遠な理由なのか。
ここまで深く考えているあたり、ちょっとおかしく思われるかもしれないが、あまりに気になってしょうがなかったのだ。

というのも、自分はブログをはじめて6年以上たち、またTwitterも昨年から始めてからというものの、世界が広くなり、普段だったら出会えないような人たちとコネクトできるようになったことに、純粋な喜びを感じ、感謝をしているからだ。
と、同時に、そのような体験は必ずしもユニバーサルなものではないとも悟った。
その落差があまりにも激しかったので、やらない人たちについて、何故やらないのかその理由が気になってしょうがないのだ。

やらない人はやりたくないんだからいいじゃん、の一言で片付けられちゃうことかもしれない。
でも気になるのだ。

やらない人のやらない理由は、外的な理由によるものなのか、理解の程度によるものなのか、それとも全くもってパーソナルで生理的な問題なのか。
私の現時点での仮説は後者だ。それを日々、「やらない人」と話す上で仮説検証している。まだまだ結論までの道は遠い。

アラサーからミドサーへ

2年生になってから、ボストン・アラサー女子会なるものを企画し始めた。

きっかけは、ハーバードロースクールのNちゃんという、同じくアラサー既婚女子と、お茶しながら今後のキャリアと家庭についてじっくりお話したこと。HBSやHLSにいる学生は20半ばが多くて、青春真っ最中という感じなので、「こういうアラサー的な話が出来る友達って大切だねー」と話していたのだった。

そこで、ハーバードやMIT近辺のアラサー日本人女子を集めて、会合をしようかといってはじめたのがアラサー女子会だった。それぞれ知っているアラサー世代の女子に声をかけて、1回目は10人ぐらい集まった。みんなのバックグラウンドは様々。
ロースクールのバリバリ弁護士の子や、ハーバード公衆衛生大学院に通う女医さんやら、ケネディスクールやMITスローンの子やら、と。大盛況で、その後、毎月1回は定例アラサー会として開催することになったのだ。

アラサーが集まると何を話すか?
やはり恋愛話、そして今後キャリアと家庭をどう両立していくか、いつ子供が欲しいか、という話が多い。
キャリアに関しては、みんな20代は目の前のゴールに向けて突っ走ってきた子達だから、ここで一度立ち止まって、今後は一体どの方向にベットしたらいいんだろう、それは将来家庭と両立できることなのだろうか、とお互いの考えをシェアしあう。

20代半ばの女子会だったら、あまり先のことを考えずに、リニアな見方で、「とにかく今頑張るしかないよね。頑張ったら先が見えてくるよね」という感じだった。
今は、それなりに経験を積んできて、今後物事がリニアには運ばないことは分かってきている。だからこそ、長期的に考えて自分がハッピーになれるのってどういう方向だろうと、ふかーく考えてしまうのだ。
特に未婚の女子の場合、「キャリア的にはこういう方向性がある。でも、そっちのほうに行ってしまうと、出会い・結婚が遠のいてしまう。かといって、こっちの方向に行くと、出会いはあるかもしれないけどキャリア面ではちょっと・・・」という、トレードオフの問題で悩んでいることが多い。それについて、違う分野ながらも、お互いに知恵を出し合い、話し合うのだ。

そして、周りのアラサー未婚男についての情報交換ももちろんある。そこが実は一番盛り上がるところかもしれない(笑)。

そんなアラサー会ができたのも、ある意味、学生というモラトリアムの世界だったからかもしれない。
学生の間は色々と理想論を語りやすい。
卒業して社会人復帰すると、もっとリアルに物事を考えなければならなくなる(かもしれない)。

そして、なんとなく自分の中では、「もうすぐ自分はアラサーは卒業なのかも」と思い始めている。
まだあと4年ぐらいあるけれど。
もうすぐミドサーの仲間入りだから。

ミドサーは実は人生で一番大切なときなんじゃないかと思っている。
子供も産むだろうし、キャリア的にも「これ!」という専門性を身につけていたい。
そのためには、30代に何をしたか、どういう道を選んだかがすごく重要になるのだろう。

だから、今、そんな大切なミドサーに向けて助走をしている。
素敵なミドサーになれるように、アラサーの今をしっかりと、たっぷりと生きていきたい。